小皿の思い出と、大皿の暮らし

子どもの頃、我が家では、一人ずつ小皿に分けられたおかずが出されていました。
大皿だと私が手を出さず、好きなものしか食べなかったからです。
痩せていた私の体を心配して、母が少しずつ、バランスよく盛りつけてくれていました。

私にとって「小皿」は、母のやさしさの象徴でした。

けれど結婚してから、ふと見渡すと、いつも食卓には大皿が並んでいました。
テーブルいっぱいに並べられた、野菜中心のおかずたち。
夫の実家では、それが当たり前の食卓風景だったのです。

私はその暮らしに慣れようと、長いあいだ努力してきました。
「この家のやり方に私が合わせればいい」と思いながら、できるだけ受け入れてきました。

けれど、年齢を重ね、体のことを考えるようになった頃、私は思い切って「定食形式」に切り替えてみました。
一人分ずつ、ごはんと汁物、おかずをバランスよく並べて。
それは、私なりの思いやりのつもりでした。

けれど夫は、なかなか手をつけてくれませんでした。

ある日、ふと夫がこぼした言葉がありました。

「小皿ってさ、出されたものは全部食べなきゃいけない気がして、なんか重いんだよね」

そのとき、ハッとしました。

——小皿は私にとって“やさしさ”だったけれど、
夫にとっては“プレッシャー”だったのかもしれない。

私が当たり前だと思っていたことは、
夫にはちょっと違った意味を持っていたんだと、ようやく気づきました。

小皿か、大皿か。
それは、ただの盛りつけ方の違いではなく、生活習慣や価値観の違い。
どちらが正しいわけでもなく、育ってきた環境が違うだけ。

歩んできた道の違うふたりが、今、同じテーブルにつく。
うまくいかないこともあるけれど、
「おいしいね」と笑い合える日を大切にしたい——

そんなふうに思いながら、今日も台所に立っています。


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